画像引用;ウィキペディアより
八幡信仰と鶴岡八幡宮の関係
鶴岡八幡宮は、源頼義が京都の石清水八幡宮で加護を祈願し、由比ヶ浜にそれを遷した事がきっかけで誕生しました。
その後、源頼朝の手によって、鎌倉幕府の宗社に相応しい現在の姿に建てられたとされています。
そして鎌倉の街作りの中心となった鶴岡八幡宮では、様々な神事や行事が執り行われる事となりました。
神事や行事を行う事によって、源氏は鶴岡八幡宮に関東の総鎮守としての八幡信仰を集めたのです。
その結果、神事や行事は現代にも引き継がれ、国家を鎮め守るという八幡信仰は、武士を中心として全国各地に広がっていきました。
鶴岡八幡宮の祭神は他の八幡宮と同様に、八幡信仰で祭神とされる応神天皇、神巧皇后、比売大神の八幡大神です。
八幡大神は、本宮(上宮)に祀られており、この本宮(上宮)では、様々な祭事が行われています。
なお、本宮(上宮)と若宮(外宮)はどちらも国の重要文化財に指定されています。
その他にも、大鳥居、丸山稲荷社、武内社が重要文化財に指定されています。
また、宝物の中にも重要文化財の指定を受けたものが多く、中には国宝と指定されているものもあるほどです。
鶴岡八幡宮の起源は1063年。源頼翁が奥州平定の際に、京都の石清水ハ幡宮に祈願。
無事に鎌倉に帰ってきたとき、八幡宮の分霊を由比ケ浜辺に祀ったのがはじまりです。
以来、武家源氏、鎌倉武士の守護神であると共に多くの人々に信仰されてきました。
現在の本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、若宮とともに国の重要文化財に指定されています。