戦国武将に人気のあった八幡大菩薩
八幡宮と聞くと、
一度は耳にしたことのある方も多いと思います。
そもそも八幡宮は日本全国に
広がった八幡神(やはたのかみ)を祭ったものです。
6世紀の中頃まで神道中心の世の中でしたが、その頃、
インドから中国、朝鮮を経て日本に伝来したのが仏教でした。
それまで森羅万象、世の中のあらゆるものに神が宿るという
神道の思想に、仏教の思想が加わったことで、奈良時代ごろ
から神仏習合と呼ばれる神道と仏教の融合が
行われるようになりました。
八幡神はあらゆる神の中でも、
早いうちから神仏習合が行われたようです。
それは八幡大菩薩が戦いの神様であったということだからなのでしょう。
その後の戦国武将が心のよりどころとして信仰していたというケースも多かったのです。
八幡大菩薩を信仰する拠点は京都市八幡市にある石清水八幡宮にありました。
さらに、現在も八幡大菩薩を祭る神社としては、八幡大菩薩の発祥とされる
大分県宇佐市の宇佐神宮や、鎌倉の大仏がある鶴岡八幡宮が挙げられます。
戦国武将に人気の代表的軍神
戦国武将に人気の代表的軍神 9万8000いるとされていた軍神だが、 特に多くの武将に信仰された軍神について取り上げてみよう。 |
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もともとはインドの神クベーラ とされ、多聞天とも呼ばれる。帝釈天に仕える四天王の一尊として、守護神、武神とされている。日本以外のアジアの広い範囲で信仰されている。 |
もともとはインドの神マリシ。 陽炎を神格化したものとされ、実体がないので傷つくこともなければ、逮らえられることもないとされ、その特性から軍神として信仰を集めた |
日本独自の軍神。 ハ幡神を祀る社は日本一の数ともいわれる。神仏習合により仏教と融合 し、ハ幡大菩薩と呼ばれるように。源氏の氏 神でもあり、多くの武将に崇敬されてきた。 |
鎌倉時代以降、武土たちが信仰した軍馬にま たがった地蔵菩薩。戦が困難に陥ったときに 地蔵に祈ったところ勝利に導いてくれ、身代 わりに矢をうけてくれたというエピソードも。 |
北極星、北斗七星を神格化して生まれたもの。妙見とは優れた視力、という意味。北斗七星のうちのひとつの星、破軍星は戦の行方を決めるものとして、武士の信仰を集めた。 | 大日如来の化身とされ、煩悩を抱えるすべての人を紋うため、その覚悟から憤怒の姿をしている。お不動さんの名で親しまれ、特に日本での根強い信仰がある。 |