神様と仏様が別れた江戸・明治時代
そもそも日本は神道からスタートしましたが、
6世紀の中頃に仏教が伝来したことで、
神道と仏教の融合が進められました。
いわゆる神仏習合と呼ばれるものです。
しかし、この神仏習合の慣習を
禁止する動きが出てくるようになりました。
一度は融合に動いた神様と仏様でしたが、江戸時代の後期から明治時代にかけて神仏分離の方向へと舵を切ったのです。
江戸時代の佳境となる1863年4月5日から
太政官布告などの通達が出されます。
さらに1868年3月17日には神仏分離令が公布されたことで、
神様と仏様は完全に別れを告げることになりました。
つまり、神道と仏教、その根幹にある
神社と寺院についてもはっきりと区別するこてになったのです。
神仏分離令によって、神社に存在していた仏教的な要素を排除していくことで、
あくまでも神社は神道に基づくものという意識を高めていったのです。
これによって、神様と仏様は融合から一転、完全に別なものへと変化を遂げました。