画像引用;ウィキペディアより
京都の開運出世の神社、豊国神社
開運出世の神社として知られる京都市の豊国神社は、豊臣秀吉が亡くなった翌年の1599年、遺言により葬られた東山の阿弥陀ヶ峰山の中腹に、秀吉公を祀る神社が創建されたのが始まりです。
しかし豊国神社は、豊臣家が滅亡した後、徳川家康に神社の社領を没収され、江戸時代は参拝も出来ない不遇の時代でした。
明治に入り、明治天皇から秀吉は天下統一を果たした後、幕府を作らずに天皇を尊重したと再評価され、社殿が現在の場所に再建されました。
ちなみに当初、大阪城の城外に造営される予定でしたが、墓や神社の元々の場所である京都に再建する要望が多く寄せられ、豊国神社は京都に本社、大阪に別社が建てられることになり、どちらも開運出世の神社として参詣者を多く集めています。
豊国神社のシンボルは参拝客を迎える唐門で、かつて秀吉の居城であった伏見城の城門だったとされます。
また開運出世の神社の御守りとして、千成ひょうたんや太閤出世ぞうりなどがあり、縁結びも兼ねた千成ひょうたん縁結び絵馬もあります。
当時は珍しかった秀吉公と妻ねねの恋愛結婚にあやかったということです。