戦国武将に人気のあった勝軍地蔵
一般的にお地蔵さんと呼ばれているのが勝軍地蔵です。
この勝軍地蔵はその名前が示すとおり、
祈願することで戦に勝利できるとされついるのです。
太古の昔、戦に向かう途中、野原を通り過ぎていると、
仏様があり、それに手を
あわせたところ、戦に勝利出来たとされています。
その後、この勝軍地蔵に祈願することで戦に勝てると言われるようになり、とりわけ戦国時代には武将に手厚く信仰されました。
勝軍地蔵は甲冑(かっちゅう)を身に付け、宝珠と錫杖を持ち、
さらに馬にまたがった姿をしています。
この勝軍地蔵は平安時代から鎌倉時代にかけて
日本各地に広まっていき、今でも多数現存しています。
例えば、東京は巣鴨にある
巣鴨とげぬき地蔵尊もその1つで、高岩寺という寺院に祭られています。
また、その他にも京都の六波羅蜜寺には運慶が作ったとされる勝軍地蔵があります。
さらに、奈良の東大寺、室生寺、
神奈川県鎌倉市の建長寺などの勝軍地蔵も大変有名なものとされています。
戦国武将に人気の代表的軍神
戦国武将に人気の代表的軍神 9万8000いるとされていた軍神だが、 特に多くの武将に信仰された軍神について取り上げてみよう。 |
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もともとはインドの神クベーラ とされ、多聞天とも呼ばれる。帝釈天に仕える四天王の一尊として、守護神、武神とされている。日本以外のアジアの広い範囲で信仰されている。 |
もともとはインドの神マリシ。 陽炎を神格化したものとされ、実体がないので傷つくこともなければ、逮らえられることもないとされ、その特性から軍神として信仰を集めた |
日本独自の軍神。 ハ幡神を祀る社は日本一の数ともいわれる。神仏習合により仏教と融合 し、ハ幡大菩薩と呼ばれるように。源氏の氏 神でもあり、多くの武将に崇敬されてきた。 |
鎌倉時代以降、武土たちが信仰した軍馬にま たがった地蔵菩薩。戦が困難に陥ったときに 地蔵に祈ったところ勝利に導いてくれ、身代 わりに矢をうけてくれたというエピソードも。 |
北極星、北斗七星を神格化して生まれたもの。妙見とは優れた視力、という意味。北斗七星のうちのひとつの星、破軍星は戦の行方を決めるものとして、武士の信仰を集めた。 | 大日如来の化身とされ、煩悩を抱えるすべての人を紋うため、その覚悟から憤怒の姿をしている。お不動さんの名で親しまれ、特に日本での根強い信仰がある。 |