御師によって広められた出雲信仰
その昔、御師と呼ばれる人々がそれぞれの神社の信仰を全国各地に広めていました。
この活動によって伊勢神宮に対する伊勢信仰が生まれたように、出雲大社でも同様に出雲信仰が生まれました。
出雲大社の御師は、季節になると全国各地を訪ねて祈祷を行ったり、お札を配布したり、祭神である大国主大神の話をしていたとされています。
こうした活動は、戦国時代から活発に行われていたようです。
また、中国や四国地方だけではなく、関東や東北でも活動は行われており、江戸時代後期には蝦夷地と呼ばれていた函館でも、出雲信仰は広がっていました。
現在では、御師と呼ばれる存在の方はいません。
しかし、出雲信仰を基本とする出雲大社教が、出雲大社に対する信仰や教えを全国各地に広めています。
その昔、御師が行っていた役目を、出雲大社教が担っているとも言えます。
その為、出雲信仰は過去のものではなく、現在でも広がりを見せていると言っても過言ではないでしょう。
出雲信仰とは、出雲大社を中心とする信仰です。
祭神・大国主大神は若い頃に兄神たちの虐待により
2度殺され、そのたぴに母神の力で再生したとされます。
ここから生命をよみがえらせる
という神としての神格があり、国士開拓の神としても知られます。
神話
石清水八幡宮 「因幡の白兎」にもあるように、苦しむものを見捨てないで生命を
裁う神として医療、治病の信仰も集め、中世以降は縁結びの神棚として
も有名で、実に幅広く信仰されています。
旧暦10月15日から26日までの間全国の神々がここに集まるといわれまして
10月を神無月(かんなづき)といいますが、出雲では
神在月(かんありづき)といい神祭を行います。
神名:大国主大神